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東交民巷天主堂は北京市東城区東交民巷甲13号にあり、1901年に建られた2階建てのゴシック式の建物だ。正門の真上にある精巧な天使の像で有名だ。

東交民巷天主堂は北京ではわりと新しく建てられた教会堂で、その敷地は元フランス領事館の一部だった。1901年に「辛丑条約」が締結された後、北京、とくに東交民巷大使館区に定住したヨーロッパ人がかなり増えた。宗教活動を展開するために、彼らは近所に教会堂を建てることを求めた。そこで、フランス人司教であるピエール=マリー=アルフォンス・ファビエ(漢名:樊国梁)神父と中国に駐在するフランス領事との協議により、フランス領事館は土地権を譲り、フランスの遣使会が資金を出し、東交民巷天主堂の工事が始まった。1904年、教会堂の工事が完了し、市民に開放された。

東交民巷天主堂の主な利用者は中国に駐在している外国人であり、司教も司祭もフランス籍であり、フランスの教会はこの教会堂の管理を担っていた。1949年、教会堂の土地所有権と建物自体がカトリック教会の北京教区に引き渡され、北堂によって管理されるようになった。1958年、政策の変更により、カトリック教会の活動が制限され、東交民巷天主堂も閉められ、その土地所有権も建物自体も政府に没収された。後に、台基場小学校のキャンパスに使われていた。1986年、台基場小学校が東交民巷天主堂から撤去され、教会堂が北京教会へ返還され、1989年12月23日に、再び活動を再開した。1995年10月20日、東交民巷天主堂は北京市文化財保護単位となった。北京の4大カトリック教会堂である南堂、北堂、東堂、西堂と比べて、東交民巷天主堂は歴史が短くて規模も小さいが、小さくて精巧な建築手法によって建てられた教会堂であり、北京市区内で徹底的に再建されたことがないわずかな教会堂であることで価値が高い

現存の教会堂の敷地面積が2656平米で、主体は典型的なゴシック式な建物だ。教会堂の主体の北側にある2階建ての洋館は本堂神父の住まいだった。そして、十軒のれんが作りの部屋は東側に立っている。全体の構造は北京の伝統的な民宿と同じようにしているが、窓の構えだけをアーチの形にした。まさに中国風と西洋風の組み合わせで出来た建物と言えよう。