
天壇[画像提供:北京観光サイト]
天壇は明と清の時代の皇帝が「祭天(天に祀る)」「祈穀(豊作を祈る)」場所です。北京市東城区南二環路にある天壇公園は、約273万平方メートルの面積を持ち、明永楽十八年(1420年)に創建られ、清の乾隆帝と光緒帝の時代に改修されました。

天壇[画像提供:北京観光サイト]
天壇は北側が丸く南側が四角く、「天円地方(天は円く、地は方形であるという古代中国の宇宙観)」を意味しています。
天壇の主な建物の1つである祈年殿は、正月に一年の五穀豊穣を祈るために建てられた建物とです。大祀殿と呼ばれていた祈年殿は長方形の正殿でしたが、明嘉靖二十四年(1545年)に丸い正殿に改修されました。
祈年殿はまた、唯一現存している古代の明堂式の建築です。その青色の瓦は澄み渡る空と映り合い、晴れの日には綺麗な写真が撮れるので、観光客が競い合って写真を撮ります。

天壇[画像提供:北京観光サイト]
祈年殿と皇穹宇を繋げ、延々と続く丹陛橋の真ん中の石畳道は「神路」と呼ばれ、天帝専用の道とされていました。東側にある「御路」は皇帝専用のもので、西側の「王路」は王子や大臣たちが歩む道でした。
古代では、中央の道は誰もが歩ける道ではありませんでした。天壇は今や祭祀場所ではなくなりましたから、その名を慕って訪れてくる観光客が、異なる意味が託された3本の道を全部歩んでみることができます。
皇穹宇は普段祀天大典に供える神版(神の位牌)を安置する殿宇で、円形の壁に囲まれています。その壁面は非常に滑らかであるため、音波の伝搬に向いている構造になっています。そのため、その壁の東あるいは西にいる人が、小声で話しても、向かいにいる人ははっきりと聞こえます。ここもこれで回音壁(音が反響する壁)とも呼ばれるようになりました。ここでは、適当に喋ってはだめですよ。聞かれてしまいますから。
圜丘は俗に「祭天台」と呼ばれ、明と清の皇帝が「祭天」を行う場所です。古代では「九九帰一(とどのつまり皆一つに帰す)」という言い方があり、また、天上の神が住んでいる天は「九重天」と呼ばれていました。これらの信仰に因んで、圜丘の石段と上板の石畳などの数はすべて九とその倍数になっており、これによって天とその無上の地位が強調されています。

天壇[画像提供:北京観光サイト]
圜丘の真南の階段から上って行き、圜丘の中央に立って北のほうを眺めると、「九重天」が目の前に広がっているように見えます。
今の天壇は、昔の祭祀場所の機能がなくなり、毎日たくさんその名を慕って訪れてくる観光客を迎えています。ここでは、観光客が壮大な建物を鑑賞し、歴史知識を学んでいるだけでなく、周辺の住民たちも毎日公園で散歩や運動をしたりしています。祭祀の色を洗い落とした天壇公園は、今や市民たちの憩いの場になっています。
(情報提供:北京観光サイト)