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2023-04-17  |  

西単は北京で最も賑わっている商業区画の1つとして、明清の時代から主要な商業開発エリアとなっており、昔から商業経営の一等地とされています。ここにはショッピングモールやレストランが立ち並ぶだけでなく、バラエティに富んだ歴史を物語る史跡もあり、多くの著名人がこの地を訪問した記録が残されています。西単のお勧め散策コースは3つあり、所要時間はいずれも15分以内です。西単交差点から異なる方向へ出発すれば、西単と周辺エリアを違う角度から楽しめます。
コース1:清学部-京師女子師範学堂-克勤郡王府-繁星演劇村
コース2:三味書屋-佟麟閣記念彫塑園-李大釗旧居
コース3:鄭王府-斉白石旧居-明清皇城西南城壁曲り角旧跡-西単ポケット公園

コース1
西単の南西角から出発し、宣武門内大通りに沿って南へ行くと、教育通り一号、新文化通りのほか、克勤郡王府や繁星演劇村など3か所の史跡を見学できますが、残念なことに、清学部や克勤郡王府の内部には入ることはできません。

1、清学部

清学部は元々清の順治初年に建てられた建物です。清の光緒31年(1905年)に、清政府はここに学部を設置しました。
 民国成立後、学部は教育部に変更され、その南のほうにある胡同(フートン)も「教育部通り」に改名されました。1965年の地名改定の際には、「教育通り」へと改名され、いまでもその名称がそのまま使用されています。
2、京師女子師範学堂

京師女子師範学堂の旧跡は、清朝末期から民国初期にかけての西洋風を模した学校であり、近現代の重要な史跡および代表的な建築物に該当し、現在は北京市魯迅中学校となっています。

民国成立(1912年)後、京師女子師範学堂は改築されて北京女子師範学校になり、後の1924年に北京女子師範大学へと改名されました。魯迅は1923年から1926年にかけて同学校で教鞭を執ったことがあります。同学堂は1984年に「北京市文物保護単位」(文化財保護対象)に指定され、2006年5月には国務院により第6陣の「全国重点文物保護単位」に指定されました。

3、克勤郡王府
克勤郡王府は順治年間に建てられたもので、現存する中で比較的規模が大きく保存状態が良い清代の王府です。21世紀初頭に修繕された克勤郡王府は昔の姿を取り戻し、現在は北京市第二実験小学校低学年校舎となっています。

4、繁星演劇村
北京のとある胡同の入口を入って、ほんの少し離れたところまで散策するとまた入口に戻ってくる。まるで腕を組んでいるような形状をしているその胡同は、「抄手胡同」と呼ばれています。北京には「抄手胡同」が2カ所あり、一つは宣武門内大通りに位置し、もう一つは阜成門内にあります。
宣武門内大通りにある「抄手胡同」の入り口には「繁星演劇村」があり、これは一定の規模を有した「首都文化演劇芸能の中心地」であり、中国初の「体験型演劇文化産業パーク」でもあります。


ルート2
1、三味書屋
三味書屋は1988年に創業した文化の雰囲気と人情味あふれる書店です。

2、佟麟閣記念彫塑園
佟麟閣記念彫塑園は佟麟閣通り北口の東に位置し、園内には2つの彫像があり、開かれた1冊の本と1個の懐中時計で、本のページには佟麟閣将軍の生涯を記録した文字が刻まれています。懐中時計の時間は将軍が討死した時刻、すなわち1937年7月28日18時13分で止まっています。

3、李大釗旧居
文華胡同24号は李大釗の旧居であり、同氏が故郷以外で家族と最も長く過ごした住宅でもあります。後宅胡同に住んでいた時期は、李大釗の生涯と事業の最初の黄金時代であり、李大釗旧居は中国共産党の歴史においても特別な価値を持っています。李大釗旧居は1979年8月21日に「北京市重点文物保護単位」に指定され、現在は西城区愛国主義教育基地となっています。

 
コース3
1、鄭王府
鄭王府は西単大悦城の北部にある大木倉胡同に位置しています。非常に長い胡同だった大木倉は、大木倉胡同という名称はそのままに、狭い胡同から広い大通りへと一変しました。通りに沿って西へ2分ほど歩くと、通りの北側にある王府が鄭王府です。
中華人民共和国成立(1949年)後、鄭王府は教育部の事務所として利用され、中国全国の教育政策の策定と教育事業の管理の中心地となっています。鄭王府は1984年に「北京市文物保護単位」に指定されました。

2、斉白石旧居
北京斉白石旧居は、辟才胡同の北側の跨車胡同13号に位置します。辟才胡同と太平橋大通りの交差点付近(北東角)に、樹木と草花の中にぽつんと隠れた1軒の古い邸宅が、現代的な高層ビルに囲まれています。灰色の塀があるこの古い邸宅は、南、西、北の3面が緑の樹木で隠されていて、東面が邸宅の正門になっています。

3、明清皇城西南城壁曲り角旧跡
西単北大通りに沿って北に曲がって霊境胡同に入ると、そこにある「明清皇城西南城壁曲り角旧跡」は、まるで人々に皇城の歴史の変迁を語りかけているかのようです。

4、西単ポケット公園
西単北大通りの東側、西単文化広場の北側にある横二条はかつて北京の有名な屋台街で、南は西長安街まで、北は太仆寺街まで続いています。2017年に最も人気のあるこの屋台街は歴史の幕を下ろし、ポケット公園が整備されました。同公園はフラップの動きの軌跡に着想を得て、地面と壁面を交差・拡張させることによって、異なる機能を有する空間を形成するよう設計されています。
ポケット公園は市民にレジャーと憩いの場を提供するだけでなく、観光客が西単の商業文化発展の歴史的脈絡を理解するための開放的な窓口としても機能しています。
(情報提供:WeChat公式アカウント「北京西城」)