(写真提供:tuchong.com)
神を祭り、祖先を祀り、先賢を記念する
端午節(旧暦の五月五日)の由来には多くの文化的著名人が関わっていますが、これらの人はみな、二つの共通点を持っています。一つは全員が忠孝の人であったということ、二つ目は「水」と関係があるということです。屈原は川で入水自殺を遂げ、伍子胥は死後に遺体を川に流され、曹娥は溺死した父を追って同じ川に身を投げました。民間で最も広く知れ渡っています。また、最も有力な説としては、偉大な愛国詩人である楚の大夫・屈原を記念する日であるという説です。宋の時代、屈原の精忠ぶりを表彰し、忠烈公の諡号を贈り、正式に旧暦五月五日を端午節としました。
北京の文人には端午節に、二閘(頤和園近辺にある地名)の三忠祠に詣でて線香をあげる伝統があります。三忠祠内では諸葛亮、岳飛、文天祥の三人が祀られています。祠の庭は広々としており、祠の裏には濯纓亭があり、ちょうど通恵河に面しています。
菖蒲を吊るし、ヨモギを挿して疫病を防ぎ災いを避ける
民間信仰では五月は毒月であり、五日もまた毒日であるとしています。老北京人(北京っ子)の多くは端午節に際して、庭や門の前や軒先に菖蒲やよもぎを吊るします。民間では菖蒲を魔除けに用いています。
端午節になると、人々は菖蒲を切って「小人」や「小さなひょうたん」などの形にして、子供たちの首に掛け、幸運を祈りました。菖蒲の根を漬け込んだ酒を用い、飲めば健康・長寿になれると言われています。菖蒲は葉の形が剣に似ていることから、民間の方士(方術使い)はこれを「水剣」と呼び、「千の邪気を斬る」ことができると説きます。菖蒲はこのような邪気を払い、害を避けるという文化的含意によって、人々が端午節を過ごす際に必要不可欠なアイテムとなっています。
天壇で遊び、「毒を避ける」
中国には古くから「南船北馬」という言い回しがあります。川の多い南方を旅する時は船を使い、北方では馬に乗るという意味で、このため、南方の端午節では船首を龍頭で飾りつけた龍舟(ドラゴンボート)で競漕し、北方では金代にはかつて馬上から柳の枝葉を標的に弓の腕前を競う射柳と呼ばれる風習がありました。辛亥革命以降、北京市民は端午節に昔日の皇家園林(皇帝とその一族の庭園)で遊ぶことが流行しました。最も人気があったのが天壇です。人々はこの場所では「毒を避ける」ことができると考えていたため、訪れる人も比較的多くいました。その他の皇家園林も人々が好んで訪れる場所でした。この他、什刹海、金魚池、高梁橋、二閘……などがいずれも端午節に遊んで過ごす場所となりました。
雄黄酒を飲む
さらに老北京人(北京っ子)には、端午節に雄黄酒を飲む風習があります。一般的に飲用される雄黄酒は、白酒又は自家製の黄酒に微量の雄黄(天然の砒素硫化物)を混ぜるだけで出来上がります。混ぜ物をした酒です。雄黄酒には殺菌、虫下し、五毒(サソリ、ヘビ、ムカデ、ヤモリ、ヒキガエルの毒)の解毒の効果があり、漢方では皮膚病の治療にも用いられます。ヨードチンキのような消毒薬のなかった古代、雄黄を酒に漬け込んだもので毒素の排出やかゆみの解消を行っていたのです。まだ酒を飲めない年齢の子供たちには、大人が彼らの額、耳、鼻、てのひら、足裏等に雄黄酒を塗ります。消毒、病気の予防、虫に刺され予防にもなります。
古い詩歌が伝えるところでは、端午節の日、子供たちはヨモギを持ち、菖蒲を身に着け、額に雄黄酒で「王」の字を書きました。こうすることで邪気を避け、疫病を防いだといいます。雄黄酒を塀や壁の隅、床などに撒けば虫よけとなり、住まいを清潔に保つことができます。しかし、現代科学の研究により、雄黄酒は外用するには概ね良いが、飲用は有害であることが分かっています。慎重に使用する必要があります。
(情報提供:首都文明網)