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【1346】中秋民俗 图虫 内容 800.jpg

(写真提供:tuchong.com)

月を祀る

中秋に月を祀ることは、わが国では大変長い歴史を持つ風習です。歴史書の記載によると、早くも周代には、古代の帝王が春分に太陽を祀り、夏至に大地を祀り、秋分に月を祀り、冬至に天を祀るという風習がありました。その祭祀の場所は、日壇、地壇、月壇、天壇といい、東西南北の4つの方向に分かれて設置されました。北京の月壇は、まさに明・清王朝の皇帝が月を祀った所です。このような風習は、宮廷や上流貴族が信奉するだけでなく、社会の発展に伴って、次第に一般の人々の間にも影響を及ぼすようになりました。民間の中秋に月を祀る風習が変化を遂げ、後には、月を鑑賞することが月を祀ることよりも重んじられるようになり、厳粛な祭祀が気楽な楽しみへと変化しました。今では、月を祀り礼拝する行事は、規模が大きく多種多彩な、月を観賞して楽しむ大衆のものへと取って代わられました。

月を礼拝する

古都北京では、どの家も月を礼拝する台を設けて、瓜、果物、月餅、鞘のついた枝豆の茎、鶏冠花、大根、レンコン、スイカなどの品を供え、祭祀に用いました。その中で、重点的に並べられたのが月餅で、さらに果物も重要でした。月に供える時だけは、男は拝礼をしません。「男は月を拝まず、女はかまどを祀らない」という諺があります。

果物の並べ方は、大変重視されていました。桃とザクロを一緒に置く理由は、昔の庶民が多子多孫こそ多寿多福だと考えたためです。栗と柿を一緒に並べて置くことは、「商売繁盛に利する」とされました。一つかみの干し龍眼を撒くのは、「団らんを貴ぶ」という意味です。遠方にいる家族は帰郷できないため、レンコンを置きました。「レンコンは折れても糸はつながっている」というように家族のつながりを表します。月へのお供えが終わると、家族が円になって座り、お酒を飲んで月見をしたため「団円節」とも呼ばれました。

「月光菩薩を描いた月光絵」を供える

「月光菩薩を描いた月光絵」は、古都北京で生まれました。兎頭人身の人形が、甲冑を身につけ、刺繍のついた三角形の旗を後ろに挿し、顔には金泥を貼り、体には色鮮やかな絵を施して、座っている者もいれば立っている者もおり、杵をつく者もいれば獣に乗っているのもいます。大きな2本の耳を立てた兎児爺という名の泥人形は、北京地区で有名な伝統的な季節の玩具です。「兎面」といっても、完全にウサギの顔というわけではなく、口だけが三つに裂けたウサギの口で、他の部分は人の顔に似ています。「兎児爺」は、古都北京の中秋節の目印ともいえる物の一つで、昔、都では、中秋節の半月前、東安市場、前門五牌楼、東四、西単などの場所に、兎児爺を売る露店が立ち並びました。露店には、階段状の木の棚を数段設置して、上にいくほど一つの段の高さが高くなりました。上には大小様々の兎児爺が並び、「兎児爺山」と呼ばれ、華やかな中秋のめでたき日に、色鮮やかで楽しい雰囲気を添えました。

お月見

お月見は、古都北京で大変盛んに行われました。月を拝み、一家で食事を食べた後、条件が合う家は北海、陶然亭などでお月見をすることができます。条件が合わない家は、庭にかめを1つ置いて、その中の月の影を鑑賞します。民俗学者の王作楫が回想して言いました。「お月見には2種類あります。一つは文玩といい、つまり月を観賞し、詩を書き、絵を描き、提灯や灯籠に書いたなぞなぞを当てさせる遊びをすることです。もう一つは武玩といい、湖に行って、水中に映った月の光を見ることです。住居の四合院の庭には水がいっぱいに入ったかめがあり、見るだけでは満足できず、小石を拾ってきて水の中に投げると、波が四方に広がります。北京の子供たちは、路地の中で月を追いかけて走ることも好きで、これを「追月」といいます。」

花をめでる

花をめでる文化は、中秋節にもその特徴がよく見られます。どの家でも窓の上に花を積み、「花山」を作りました。その他、古都北京の灯市も同様ににぎやかでした。中秋節は、わが国の三大灯節の一つで、期間中は玩灯(飾り提灯を川に置いて漂流させて遊ぶということ)と呼ばれる伝統行事を行います。もちろん、中秋節には、元宵節のような大規模の飾り灯籠を見る行事はありません。玩灯は、主に家庭や子供たちの間で行われました。

月餅を食べる

中秋節に月餅を食べる歴史は長く、昔、古都北京で食べられた月餅は主に3種類ありました。自来紅月餅、自来白月餅、提漿月餅(すなわち団円餅)です。後に、「翻毛」(蘇州風味)、「賴皮」(京式風味)、広東式の月餅が登場しました。中秋節に際して、古都北京では月餅を手作りすることも好まれました。

古都北京では供える月餅を、必ず「自来紅月餅」にしなければならず、「自来白月餅」ではいけませんでした。食べるのは、「自来紅月餅」と「自来白月餅」の2種類の伝統的な月餅でした。「一家の食事が終わった後の月見をする時間は、中秋節の日、月が昇り始めるのが北京では比較的遅く、大体9時過ぎまで待たなければ月が昇り始めないため、この時間に、人々は四合院にテーブルを置いて、お茶を飲み、そして月餅を食べました。」「自来紅月餅」は祭祀に使われるため、厳しい決まりがありました。皮はごま油を使って作り、中には異なる種類の種や実を入れなければなりません。さらに、北京の「青絲、紅絲」(ヤマモモと陳皮)、氷砂糖も入れなければなりません。「自来白月餅」の材料は比較的自由で、特別な決まりはありませんが、生地はラードを入れて混ぜ合わせました。

(情報提供:首都文明網